今日はとてもいい日でした。最後のバイトでしたし、引越し先での色々な準備も今のところ順調にいっています。おまけに焼肉に食べにいきましたし。ではここらで気分転換に少々書きます。気分はいつもとあまり変わらず、明日も同じ日が続くような感じで、というのはどうでもいいので、続きを書きます。今バイト先の唯一仲の良くなった人とインスタのメッセージを交わしていて楽しいです。その人はメッセージで爆笑を連呼していてとてもその人らしさが出ている文章だと思いました苦笑。さて続きを書きますと、このバイト先で学んだことはたくさんあります。人間驚くべきほど考えが違って、どういう風に接すればいいか試行錯誤していたのですが途中で全てを悟り切って自分の考えるべきことに集中していました。配達の最中は自由に考え事をすることができ、さぞ高尚な考え事ができるぞ、なんてバイト先を選んだのですが日々考えることは、最初の方はきちんとやるべき考えごろをするのですがそこから30分ほど立ってしまうと要らぬ空想やら過去の出来事や最後の方は早く帰りたい思いで頭がいっぱいになります。途中であれこれ忙しくなって久しぶりに配達のバイトをするととても気持ちがいいものでした。このバイトを半年くらい続けたあたりからこの世の中がとても抽象的なものだということに気がつきました。その気づきはこっちにきてからの最高の面白い出来事だったと思います。こんなどうでもいい気づきのことはさて起き、何か重要なものを書きたいという思いがあるのですが、結局のところ何が重要なのかわからずじまいです。最近はお仕事とか将来のことのために情報を多く吸収しようという心がけから多くの情報に触れるようになり、それに伴い当たり前ですが処理する情報の数が多くなってきました。この多くなったという感覚はとても主観的なものなのですが、すっからかんな昔の自分に比べるととても多いのです。得る情報量が多ければ多いほど得るものがたくさんでより質の高いtaskをこなせるようになるなんて思っているのですが、間違えました、この情報量というのは自分にとって有意義な情報という意味です、つまり自分が欲しいと思う情報を手に入れることによってより豊かな人生を送ることができるなんて早計していたのですが、結局のところそうでもないのかななんて思ったりするのです。トレードオフなんて言葉がありますけれども、実は有意義な情報を得るものにも何かなくなっていくものがあるというのが今日この頃思うことです。多分今日この頃の人類は情報の量が多すぎて昔の人の300歳くらいの情報量を一生で取り扱っているような気がします。その情報量もうまくその情報を扱える人とそうでない人とでは違ってくるのは当たり前で、例えば220歳の人と、47歳の人とでは話が会うはずもありません。実は最近はこのようなことが当たり前に起こっているのではないかと内心ヒヤヒヤもしています。読み返してみるとこんな文章を書くはずではなかったのですが多分こんなもんだと諦めます。明日はついに引越しなので頑張りたいと思います。ではここで巻き返しの村上春樹の「風の歌を聴け」から一節。
『あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風に生きている。』
ちょっと無理がありましたが、この本はとても好きなので明日か明後日あたりに読み直してみることにします。